まず子どもたちがビデオにて登場。とてもよく作り込まれており、弦打小学校の歩みがよくわかりました。それによると、弦打尋常小学校は1892年(明治25年)に創立されました。長い歴史の中で、1906年(明治39年)に「クスノキ」が植樹され、今でも校庭において、子どもたちを見守っています。
ビデオの後は、講師に弦打小学校の卒業生である東京2020オリンピックハンドボール女子日本代表の塩田沙代さんを迎え、講演会が体育館で行われました。体育館には、小学校高学年の児童が集い、低学年の児童は教室でリモート視聴をしました。
以下、塩田沙代さんの講演会の要約です。
「私は、1989年生まれ、弦打小学校卒業、勝賀中学校そして高松商業を卒業。子どものころにそろばんとピアノを習い得意です。中学校ではバドミントンをしており、ハンドボールを始めたのは高松商業からで、香川銀行実業団、その後、北國銀行実業団に所属し、2017年、2019年には世界選手権日本代表、2021年には東京オリンピック2020に出場しました。
ハンドボールのルールについて、みなさんは知っていますか。ハンドボールはコンタクトスポーツといわれ、横の接触やユニフォームを引っ張るのは反則ですが、正面どおしの接触のある、7人制(うちゴールキーパーは1人)でゴールに向かって球を入れる、20メートル×40メートルの広いコートを必要とするスポーツです。
高校から始めたハンドボールですが、かなりのレベルまでいき、卒業後は大学へ進学をせず香川銀行実業団でハンドボールをしていく、と自分自身で決めました。そしてオリンピックに出場するという夢を実現するため、北國銀行へ移籍し、コツコツ練習を続けました。海外選手と互角に戦えるからだを作るため、食事面に気をつけました。休養も取ること、ビデオ視聴で試合を研究する等をしました。その間、ずっと順調というわけではなく、怪我もあり調子の悪い時もありました。メンタルを強く持つため、常に夢を追い続けました。
チームスポーツは、一人でやるわけでも、試合に出られる7人だけでやるわけでもありません。常に仲間や支えてくれるスタッフと良好な関係を築き保つため、コミュニケーションを取りました。
ロンドン、リオでのオリンピックでも日本女子ハンドボールは予選敗退で出場は叶いませんでした。そして、東京オリンピックに出場できることになりましたが、新型コロナウイルスという新たな伝染病が世界中で猛威を奮い、1年延期になりました。誰もが先が見えない中で、自分もモチベーションを保つのが大変で、それでもできることとして感染しないよう予防に努め、コートが使えない日々もありましたが、できることは怠りませんでした。結局、東京オリンピックは無観客試合となり、観客がいない無念さはありましたが、それよりも開催してくれたことへの感謝や、コロナ禍でボランティアとして手伝ってくれた沢山の人たち感謝の気持ちを持っています。最終、決勝トーナメントには進めませんでしたが、強豪モンテネグロには勝つことが出来てたときは身体全体で仲間たちと喜び合いました。
現在、北國銀行の行員として、スーツを着て働いています。選手は引退しましたが、スポーツを通じて世の中を明るくしたい、また、生まれ育った弦打の地元を元気にしたい、という次の夢があります。選手時代は地域行事等にもかかわりをもてなかったのですが、これからは、時間がかかるかもしれませんが自分にできる活動をしていきます。
皆さんにも夢を叶えるため、仲間を大切にする、自分で考えて行動する、好き・楽しいと思うことを続ける、ということをしていただきたいと思います。」
▲講演会タイトル『夢を叶えるために大切にしてきたこと』
▲講演会開始前に、塩田沙代さんに写真撮影とブログへの掲載をお願いすると、快諾してくれました。
▲講演会の中で、沙代さんから弦打コミュニティセンターへの応援の横断幕・懸垂幕設置の感謝のことばがありましたが、そういう娘さんを育てたお母様【写真左】です。
▲東京オリンピック2020の実際に沙代さんが着用したスーツです。
(文・写真:弦打コミュニティセンターK)
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