2017年08月08日

講演会「相作馬塚古墳から見た5世紀の国際交流」

 8月5日(土)9:30〜、弦打コミュニティセンターで、弦打校区コミュニティ協議会生涯学習部会が、高松市創造都市推進局文化財課(高松市埋蔵文化財センター)の高上(たかうえ)学芸員をお招きし、平成28年頃出土した鶴市町の相作(あいさこ)地区の発掘からわかった5世紀後半の話をしていただきました。
 西濃運輸の南東側で高月池(こうづいけ)の北側80メートルのこの場所は、宅地開発に伴って6〜8月に発掘、古墳は記録をもって保存され、現在は公園整備をしているということです。公園に、花を模ったオブジェが、実際の石室の天井の石を使って作られています。
 高上学芸員の話は、考古学ファンならずとも5世紀後半、約1,500年前にタイムスリップできる素晴らしい話でした。
 それによると古墳時代中期後半、百舌鳥・古市古墳など大阪府南部に巨大前方後円墳が築かれ、古墳の規模と被葬者の階層が相関し、それが凡列島的に広がる時代に、今まで全く不明であったこの時代の鶴市町周辺を、相作馬塚古墳の被葬者が取りまとめていたということが明らかになりました。
 葬送儀礼には多くの渡来的要素が見られるのが最大の特徴で、当時の倭の国の丸太を刳り貫いて作る木棺ではなく、朝鮮半島に起源の釘・鎹を用いた木棺が使われていること、石室内の土器供献、石室の形は朝鮮半島に類例がある一方、副葬品は倭の国内で流通していたものであることから、このあたりに定着して生活し、倭国内の交流の中で一定の地位を得ていたこと、又、副葬品は武器が卓越し、軍事的性格の強い男性であったことが判りました。
 文字の残っていないこの時代であっても日本と中国大陸、朝鮮半島など、東アジアにおいても国際交流が活発に行われ、私たちの住む土地においても人々が生き生きと暮らしていたであろうということが推測されるのです。
 今回の発掘ではバターナイフや刷毛を使い、根気強く硬い土を掘り進めたこと、又、発掘物を最新のレントゲンにかけるために大事に九州まで運んだりといった話にも感動しました。
 聴講者は歴史、考古学に触れることができました。とりわけ小学生には良い刺激となったことでしょう。
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